笹尾根(日原峠~笛吹峠)
檜原村の「たなごころ」というパン屋にあるサウナが少し気になっていたのですが、たまたま昔の同僚達がそのサウナに行くというので、僕も混ぜてもらうことにしました。
「たなごころ」は檜原村の人里(へんぼり)というところにありますが、ちょうど人里は山の麓にあり、山を挟んで反対側の集落と人里を結ぶ峠道があるので、せっかくだから反対側の上野原の方から甲武相国境尾根を越えて行くことにしました。
峠を越えた先の集落に用事があることは、現代社会ではそうそう無いので、日常生活の中で峠を越えてきた昔の人達の追体験をするまたとない機会です。
甲武相国境尾根は、今では笹尾根という呼び方の方が一般的ですが、かつては国と国との境であり、交易の為の峠道が残っていたりすることを考えると、甲武相国境尾根という呼び方の方がしっくりくる感じがあります。
上野原駅からタクシーに乗り、出発地点の新山王橋のバス停まで4,000円。
バス停から猪丸集落を歩いて行くと、すぐに甲武相国境尾根が見えてきます。
目指す人里はあの山の向こう。
まずは日原峠を目指して登って行きます。
日原峠へ向かう登山口に向けて集落の中を登っていきますが、結構高いところまで何軒も家が建っています。
一番高いところにある家はとても立派な風格のある家で、見るからに村の長の家という感じでした。
出発から50分ほどで日原峠に到着。
「たなごころ」に朝の10時に集合の約束だったので、この最初の区間のタイムを見て、どこの峠から檜原村に降りるかを考えようと思ってましたが、思っていたよりもかなり早く来れたので、約束の時間には余裕で間に合いそうでホッと一安心。
なるべく尾根上の道を長く歩きたいので、笛吹峠まで歩いてから人里に降りることにします。
檜原村側と上野原側のそれぞれの集落から尾根に上がる峠道があるので、ハイキングやトレランをするのにもとても便利なところです。
本日の最高地点の丸山に到着。
この尾根の道には、古の生活道であることを示すお地蔵さんや石碑が数多く残っていると聞いていたので、今回はそういうものもしっかり見ていこうと思っていましたが、手前にあった小棡峠やこの丸山の山頂にはお地蔵さんは無く、代わりにお地蔵さんの絵が描かれた石が置かれていました。
明らかに最近描かれた感じの、マジックで描いたみたいな笑顔のお地蔵さんで、ちょっと思っていたのと違うなぁという感じです。
しかし、これも誰かがこの道を通る人達の安全を祈念して設置したのだろうと思うと、いつの時代のものであろうが、尊重すべき心情の賜物であることに変わりはありません。
とても有り難いものです。
丸山を過ぎて少し走ると、すぐに笛吹(うずしき)峠に到着。
ここから人里へ向けて降ります。
笛吹峠にある石碑には何か文字が彫られてましたが、読めませんでした。
帰宅してから調べてみたら「みぎ かつま ひだり さいはら」と彫られているそうです。
笛吹峠からの下りは途中からとても走りやすい道になり、軽快に飛ばしていたら、いつの間にかスマホを落としてしまったことに気づきました。
待ち合わせの時間には大分余裕があったので、慎重に目を凝らしながら降りて来た道を引き返し、10分ほど戻ったところで無事にスマホを発見。
今回はトレランの装備だったので、下りは大体走ってましたが、スマホをしっかり収納しておかないと振動で落ちてしまうこともあるので、注意が必要です。
そんなこんなで、峠を降り始めてから40分ほどで笛吹の集落が見えてきました。
今回は待ち合わせの時間もあって急いでいたので、出発から2時間半ほどでここまで来ましたが、普通に歩いたら多分4時間前後ぐらいの道のりだと思います。
僕は今回サウナに入る為に峠を越えましたが、昔の人々も、峠を越えた先に何かの用事があったときはこうやって歩いて峠を越えていたのでしょう。
ちなみに中央線が上野原まで延伸したのが明治34年だそうですが、当時はまだ五日市線は開通しておらず、この辺りに住む人々は電車に乗るのに峠を越えて上野原まで歩いていたそうです。
笛吹の集落に着いてさらに降りて行くと、川の向こうに「たなごころ」が見えてきました。
9時ちょっと過ぎには「たなごころ」に到着し、無事に友達と合流。
この後はこの日の本当の目的のサウナを楽しみます。
サウナの受付をする僕の友達と、お仕事中のスラ婆さん。
サウナは予約制で2時間半貸し切りなので、サウナで温まっては川に浸かって、渓谷を眺めながらのんびりと過ごしました。
川の水が冷たくて、1セット目は飛び込めませんでしたが、2セット目以降は川に飛び込んで、アウトドアサウナを満喫しました。
僕はサウナは素人なのでよく分かりませんが、何となく整ったような感じでした。
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