鳳凰三山
 〜 T's point of view 〜




この度、ナイスマウンテンズ管理人であり登山部の部長でもあるN氏と同行させて頂きましたTです。
鳳凰三山に関する記事は既にN氏による記載の通りではありますが
登山に関してはほぼ初心者である自分の目を通した今回の旅について
初心者だからこそ思うところや、N氏への感謝も込めて筆を執らせて頂いた次第です。

今回の記事についてはN氏より
「なんだかTさんがイヤな人みたいな書き方をしてしまってすみません」と言われましたが
僕からすればまさに記事の通りであり、実際はそれ以上にネガティブな言動を繰り返していたと思います。

というのも、どうやら山というのはその人の全てをあばいてしまうようで
その壮大さに触れた途端に、たちまちにして着飾った『自分』は取りはがされてしまいました。
残った物は悲しいほどに矮小な『本当の自分』だけ。
少なくとも僕においてはですが、自分の人間力の無さ、器の小ささを痛感し、非常に悔しい思いをしました。
でも、それ故に山に挑戦し、同じ轍は踏まぬと新たな過程を構築し
そのようにして成長した自分を何度も確認したいと願ってしまうのがクライマーなのではないか。
もちろんそれだけではなく景色の美しさに触れたり、山頂での達成感や人々との交流、他にも沢山魅力はあると思います。
勝手な解釈かもしれないですが、今回の旅を通して僕は登山に対しての理解が少し深まったような気がしました。


日程や行程は既にN氏の記事にある通りなので
内容をトレースしつつ補足事項や雑感を交えながらお伝えできればと思います。
※トレース:踏み跡、踏み跡をたどること。


【一日目】
電車とタクシーを乗り継ぎ、登山口に到着。

近くのバス停にて行程の確認をしているところに、どこからともなく犬が現れました。
しかしながら良く見ると足やお腹に腫瘍のようなものがあり
何やら病気を患っている様子で、あきらかに元気がありませんでした。
いよいよ出発という時にはいつの間にか居なくなっていましたが
僕らにとって幸運の女神的存在なのか、はたまた何なのか良く分からない空気に包まれながら、とりあえずクライムオン!
因みにこの時ばかりはテンションMAX状態でした。

「のっけから急坂が続きますが、これを乗り越えてしまえば後は緩やかな道になります」
事前に説明を受けていたものの、息も上がり会話が出来ない程の急坂の連続で
登山早々に「これやっちゃったかな」とふつふつと湧き上がる後悔の念を何とか押さえつけて一歩一歩を踏みしめました。


自分の登山経験はほぼ無く、小・中学生の頃にボーイスカウトでの低山キャンプ経験はあるものの
練習として10日程前に高尾山(標高599m)に登った位で、20年近く本格的な山には登っていませんでした。
そんな自分の足腰は早くも悲鳴を上げ始めていたのです。

僕は常にN氏の後ろについて歩いていたわけですが
自分よりはるかに重いザックを背負い、ゆっくり確実に一歩を踏み出すその後姿は
紛う事無く経験を積んでいるであろう登山者のそれであり、非常に安定感のあるものでした。

そして急坂の連続を乗り切り、ようやく辿り着いたのが『燕頭山』。

 

 

急坂の連続もここで終わりと言う事で、大きく休憩を取り昼食を食べました。
大体1000mの高さを4時間ほどかけて登ったわけですが、ここで食べた何て事のないコンビニのおにぎりが染み渡りました。
ここからの行程は地図上にも『なだらかな道』と表示され、安心感と既にやり遂げた感が体に充満しつつあったのですが
それが間もなくして跡形も無くなる事になるとは、この時は予想だにしていませんでした。


昼食タイムが終わり、後はなだらかな道を進めばテント場である『鳳凰小屋』を目指すのみとの事で再びクライムオン!
最初の内こそ食事のおかげもあってか足取りも軽かったのですが、やがてちらほらと残雪が目に付くようになりました。

今回の旅を計画するに当たって、N氏より出発前の打ち合わせで
「まあ今回一応アイゼンも持っていきますが、ほぼ出番は無いでしょう」との説明を受けた気がしていたのですが
結果として今回の旅はアイゼンが無ければ生きて帰れませんでした。
※アイゼン:滑り止めのために靴に付ける鋼鉄爪つき金具


まったくもって油断していた僕の眼前に例の写真現場が立ちはだかったわけですが
N氏が自分用にアイゼンを用意していてくれていたので救われました。
アイゼンを装着しながら眼前に広がる景色を受け入れられないまま、僕はここで始めて『死』を意識するようになりました。
まさか登山初心者がいきなり雪山を登攀する事になろうとは思いもよらなかったのです。


一歩足を滑らせれば遥か下まで滑落してしまうであろう雪に覆われた斜面をトラバースするという難所で
僕は足を取られ思いっきり太ももの辺りまで雪を踏み抜いてしまいました。
※トラバース:山腹を横ぎること。斜登降。

その時丁度前を歩いていたN氏が振り返り、豪快に片足を雪に埋めてしまった僕を見ると
「そういうのいいですねえ〜、うへへ」と言ってカメラを取り出そうとしたので
「ほんと笑えないっす」と真顔で言ってしまいました。
「あ、すいません・・・」としょんぼりカメラをしまうN氏でしたが
この時ばかりは本気でぶん殴ろうかと思いました。
それ程までに『死』というものがすぐ傍にあって全くの余裕もありませんでした。

そんな死線をかいくぐり、なんとかこの日の宿泊ポイントである『鳳凰小屋』に到着したのはもう夕方頃。
そこには、カップルや山岳部だかワンダーフォーゲル部的な大学生らしいグループ、自分達のような男性二人組等が
すでにテントを設営しており、中から楽しげな会話が聞こえてきました。

そして自分達もようやくの夕食タイム。
N氏に用意して頂いた器具で僕はウインナー入りチキンラーメンを作り食しました。
この時の姿が例の写真であります。


僕とN氏を登山で結びつけたのは『岳』という漫画ではあるのですが
『神々の山領(いただき)』という物語も共通項となっていました。
自分は漫画で読んだのですが、その主人公の一人である『羽生丈二(はぶじょうじ)』が遭難するシーンがあります。

滑落して全身打撲で肋骨を折り、左足、左手が使えない状況のもとで
25m上に置いた食料や予備の装備が入ったザックまで右手、右足、そして歯だけでロープを登り
ようやく砂糖を目一杯入れたお湯を飲むという描写。

この25m登攀においての彼の手記

「たった25メートルを攀るためだけに
 これまでの20年間はあったのではないか
 こんなことはもう二度とできないだろう
 もう何もおれの中には残っていない
 気力とか体力とか言葉で
 言いあらわすせるものじゃなく
 言いあらわせないものまで
 すべてこの攀りに使ってしまった
 そして手に入れたのが
 あとひと晩か数時間生きていてもいいという権利だ」

「神がとか幸運がとかは言わない
 このおれがその権利を手に入れたのだ」

ホームレスが炊き出しにありついている様にしか見えない僕の食事風景ですが
気圧で顔がパンパンにむくんでいるこの写真を見ながら二人して大爆笑したわけですが
少なくとも僕は、その時の羽生丈二に心を重ねこのラーメンを無心に喰らっていたのです。
(さすがに今回の旅においては神や幸運については否定できませんでしたが。)

これ程までに美味い食べ物はなかったのではないかと思わせるチキンラーメン(ウインナー入り)でした。

そして就寝の時間。
身体は疲れ切っていてすぐにでも眠りたいはずなのですが
高山病とは言わないまでも少しの高度障害が出ていたのか、気圧で頭が圧迫されるような感覚に襲われ
殆ど眠りにつくことは出来ませんでした。
まどろみの中で、そういえば昼間に出くわした大蛇に噛まれなくてよかったなとか
今生きている事の不思議さとか、そんな事を考えている内に夜は明けてしまいました。

 

【二日目】
五月末なのに周りは雪山。
そんな別世界のような寒い朝に飲むコーヒーは格別でした。

そして朝食後、いよいよ鳳凰三山と呼ばれる山達に向けてクライムオン!

意外とあまり疲れが残っていない自分の身体に驚きながら、のっけからの雪山に多少怯みながら、歩を進み続けました。

ほぼ同時刻に出発したワンゲル部が前方を進んでいたのですが、ちょこちょこ休憩を取るのでその度に足止めをくらう羽目に。
「どうせ追い抜いても、また抜き返されるでしょう」と判断し、常に後を追う形になっていましたが
彼らがこんなにゆっくりペースだった理由が判明した頃には時既に遅し。

足止めは数分続く事もあり、充分過ぎる位に足腰を労わりながら登る事が出来たのですが、ここでN氏に異変が起きました。
突然おならを連発しだしたのです。
「あらゆる筋肉が疲れて、肛門の筋肉も制御不能です!へへへー」とか言い出しました。

僕は(こんなに打ち解けてたっけ)と思いながらも
「ブーじゃねえよ(笑)」とか最初の内こそ突っ込んでいましたが
やがて疲労から面倒になり、おならを全スルーしていました。
しかし、この世のモノとは思えない程の悪臭を嗅がされた時は本当にしばきまわして登山道から蹴り落とそうかと思いました。

そんな事がありながらも歩みは続きます。
そして地蔵岳山頂付近での一枚。

目の前には太平洋の水平線、そして山頂から逆サイドに日本海の水平線を臨む事が出来ました。

二つの海を見渡せる場所。
ここで僕はようやく自分がどれだけ高い場所に立っているのかを実感したのです。
僕は富士登山の経験が無い為、恐らく人生の内で一番高い場所に登った事になります。
標高2800m付近の風景。
そんな想いを馳せながら、暫く動けずにいました。

そしてついに三山の一つ、地蔵岳のオベリスクに到着。
ここでN氏の記述通り僕のぐずりポイントとなりました。
確かにN氏が抱く、このオベリスクに登る事が全てと言わんばかりの今回の意気込みは承知しているつもりではありました。
しかしながらいざ眼前にすると、それは明らかに人間が登るなんて狂気の沙汰と本能が訴える程の険しさで
(これはアカン奴や)と思った瞬間N氏の説得に当たっていました。

しかしながら結局は「僕はこの日の為にHEIJIさんとトレーニングを積んできたんです!誰も僕の邪魔はさせない!」
という真っ直ぐな瞳に負けてしまい、カメラを預かり無事に帰還する事を祈りながら待つ事になってしまいました。
言い訳のようになってしまうのですが、このオベリスクに限らず写真におさめてしまうと山々が持つ厳しさや険しさやが
少なからず緩和されてしまう感があり、実際に目の当たりにした時の衝撃との差を思わずにはいられません。

震える手でカメラを持ち、待っている間
(確か携帯電話が圏外だったから、落ちた時に救助を呼べない)
(先に行ってしまったワンゲル部達よ。落ちた時に救助を呼んでもらいたいから、どうかもうちょっとゆっくり進んでくれ)
(この高さなら骨折くらいで済むだろうか。N氏の家族になんて説明しよう)
こんなマイナス思考ばっかり巡らせている内にN氏は登頂し
流石トレーニングをしているだけあってスルスルとすごい速さで懸垂下降してきました。

人生でこんなにほっとした事はあっただろうかという程僕は安心しましたが
N氏の様子がおかしく、手をしゃぶりながら戻ってきました。
どうやら手を怪我してしまったようで、しかも傷が深く結構出血していました。

理由を伺うと『ハンドジャム』を実践したら意外と岩肌が鋭かったと事。
※ハンドジャム:岩などの割れ目に手を入れて、それを使って登る方法。

「『ハンドジャム』もちゃんとHEIJIさんに習ったんですか」
「いや漫画で読んだだけです。うへへー」
とか抜かしたんで、カメラを山からぶん投げようかと思いました。


そんなこんなで残る三山の内、観音岳、薬師岳を目指しました。
途中にはロープを使って直登するような場面もあり、今思い出してもよく滑落しなかったなとほっとします。
※直登:岩壁などを回避せず正面にルートをとって登る事。

しかしながら、この辺りからの景色は縦走という事もあり北岳等、本当に美しい山々を確認する事が出来ました。
※縦走:いくつもの山を次々と稜線伝いに続けて歩く事。

そして観音岳に到着すると沢山の登山者達が休憩しており、その中にワンゲル部も混じってラーメンを作っていました。
自分達はあと数時間後には下山する予定になっていたもののかなり遅れが出ていて
僕は彼らをみて(ずいぶんのんびりしているなあ)と思ったのですが、別に彼らも本日中の下山であるとは限らなかったのです。
N氏と「おそらくこの先にもテント場があるので、二泊三日の行程で進んでいるのではないか」という結論に至りました。
二泊三日の行程で進んでいる団体の後ろを、一泊二日の自分達が律儀に追っていては遅れが出てしまうのも当然なのです。

そこからは、ペースをあげて歩を進めました。
最終目的地の薬師岳に到着するも、写真もほぼ撮らずに下山開始。

霧がかかったり、遠くに大きな雲が見えたりと不安にかられながらも先を急ぎました。

途中の薬師岳小屋で食事をとり、オーナーらしき人や中にいた登山者のおじさんと少し話をしました。
帰りのルートを説明すると
「雪が大変だけど途中までだから。それにしても長丁場だねえ。雪を回避しようとして道迷いにならないようにね」と言ってもらえました。
この小屋には漫画『岳』が全巻あり、気持ちがかなり和みました。


再びの雪道を歩み、テント場にもなっている南御室小屋に到着した頃には既に幾つものテントがありました。
本来であればこの時間には夜を明かす準備をすべきで
この光景はこれから下山する僕にとってかなりのプレッシャーになってしまいました。

水の補給を済ませ、南御室小屋を出発。
雪道をタンクトップ姿で登ってくる外国人チームと「コニチワー」とすれ違ったりしましたが
疲れと不安からやがて無言になり、息遣いと踏みしめる雪の音だけを聞きながら、駆け下りるようにして下山していきます。
一日目は震えるほど怖かった雪道も、何度も足をとられ雪を踏み抜いている内に全く気にも留めなくなり
むしろ雪のクッションを利用して足に負担をかけないように進んでいる自分に気がつきました。
また、踏み出す足の角度を変えたりして身体にかかる負担を散らしたり
極限状態になると考えるよりも身体が先に順応ようとしている事に、まるで自分の身体ではないような感覚で
命ってすごいな、と他人事のようにぼんやり感じていました。

そしてあれだけ美しかった稜線の景色だったのに、すこし日が傾くだけで、すこし霧が出ててくるだけでどうしてこんなにも不安にさせるのか。
山が見せる少しの表情の変化にさえ驚きを隠せませんでした。

そういえば雪道を抜けた辺りで、なんとも不思議な体験をした事が思い起こされます。
両膝が痛み出し、両手に握ったストックを松葉杖のようにして下りていく。
満身創痍で、さらに『ただ下山して家に帰る』という視野が思い切り狭くなっている状態で、突然すこし開けた場所に出ました。
あつらえたような緑の芝生にテントが一つ。
霧も少し出ていた事もあり、それは幻想的な光景でした。
テントの前に『Limp Bizkit』というバンドのボーカルに似ている足にタトゥの入った巨躯の外国人が火をおこしており
されにその傍らには上下の青いジャージを来た中学生位の女の子(日本人)という極めて妙な二人組がいました。


ボーカルの人。ラップとかがすごい。

さっきすれ違った外国人チームの一人だろうか、まさか幻覚でも見ているのかな、と思いましたが
「コニチワー」と挨拶を交わし、隣の女の子にも「こんにちわ」と挨拶をした時のその子の表情が今も忘れられません。
目を丸くして、あるはずのない光景をみてひどく驚いているような、願いがかなった時に驚きすぎて喜べない時のような
なんとも形容しがたい表情をしていました。
これから下山しようとしている僕達に驚いていたのか、そもそもあの二人組みはどういった組み合わせなのか。
思考を巡らすのも億劫なくらいに疲弊していたので、その時は考えるのをやめました。
前を歩くN氏にも「今の二人は何だったんでしょうか」と聞いてみましたが
前をひたすらに歩きながらという事もあり、N氏が何か返事をしてくれたのですが良く聞き取れませんでした。
僕もそれ以上聞き返さず、再び無言で下っていきました。

徐々に太陽が沈んでいくと、僕の心は『焦燥』という悪魔に支配されていきました。
僕用の予備の荷物やテント道具で遥かに重いザックを背負っているN氏に「もう少し急ぎましょう」と煽り出す。
遭難というものが下山時に頻発するというメカニズムは事前に理解しているつもりでしたが
僕の思考回路はまさに遭難者が至るものと寸分違わなかったと今になって思います。

ここでN氏がペースを一定に保ってくれなかったら、足をくじいて動けなくなったり、それこそ滑落して遭難したり
最悪の事態は免れなかったのではないか。
本当に同行者がN氏で良かったと心から思います。

そしてようやくゴールである夜叉神峠登山口に到着。
日が完全に落ちるギリギリに下山出来て、思わず僕は「助かったー!」と叫んでしまいましたが
実は助かっていませんでした。

ここからはN氏の記事の通りで、まさかの『下山後の遭難』に発展しかねる事態となってしまったのです。
登山口には『タクシーはこちら』という感じで電話番号が記載されている看板が散見されるものの、携帯電話の電波が全く入らず。
(自分はソフトバンク)
「地図を見ると少し歩くと温泉郷があるので、そこで電話を借りましょう」という事で林道を歩き始めました。

『熊に注意!』の看板を横目に林道を歩いていると、間もなくして完全に日は落ちてしまい
ヘッドライト無しでは前方が全く見えない程になっていました。
下山したとは言えども、まだ標高1380m付近にいるという事実。
林道脇から垣間見える遥か下の甲府市の小さな街明かりが、なんとも言えない寂しさを演出していました。

人工的な明かりが皆無である道をひたすらに歩く。
道路とはいえ一切の車が通らず、二人なのにこんなにも心細いものかと思いました。

ここで『岳』全巻を揃えていた薬師岳小屋のオーナーとのやり取りを思い出します。
行動食として『ブラックサンダー』というお菓子を買った時のひとコマ。
「それじゃあ一つおまけしてあげる!もし遭難したらこのおまけした一個で生き延びてね。わっはっは」というやり取り。
まさか冗談が現実になりかけているとは。
僕は(この一つを食べてしまっては遭難という事実を認めてしまう事になる)という意味不明の思考が働き
口にする事が出来ませんでした。
因みに後日ちゃんと有難く頂きました。

やがて僕は諦めの境地に辿り着きます。
(とりあえず山中で遭難している訳ではないので、歩いていれば明日は帰れるかな)
(今ある食料はソーセージ位しかない。何とか明日まで食いつないで車が通ったらヒッチハイクできないかな)
(ブラックサンダーだけは手をつけられないな)
(N氏は一切泣き言を言わず、携帯電話の電波チェックと地図を交互に睨めっこしている)
(これが結婚できる男と出来ない男の差なのか)
(もう疲れて眠くなってきた。あそこらへんでビバークできないかな)
※ビバーク:緊急的に野営する事

落石注意で転がっていたであろう大き目の石に躓きながら逡巡する思い。
そして僕は休憩を申し出て、N氏にビバークを提案しました。
N氏は「地図を見るとあと30分程で温泉郷に出るはずです。もう少し頑張りましょう!」
僕は彼が『岳』の主人公である『島崎三歩』に見えて思わず泣きそうになってしまいました。

そしてN氏の言う通りに30分程歩いていると「見えた!」という歓喜の叫びが聞こえました。
確かに小さな甲府の街明かりとは違い、それは明らかにすぐ近くの建物の明かりでしたが
僕はもしかしたら何ら関係ない人工物の明かりではないかという、違っていた場合のぬか喜びのショックに耐え切れないと思い
ちゃんと眼前にするまで喜ばないよう努めました。
しかしそれは見事に杞憂に終わり、ペンションが現れたのです。

電話を借りタクシーを呼ぶ。
N氏と握手を交わし『生きて帰れる事』に歓喜しました。
その時にオーナーさんと少し話をたのですが
「携帯ドコモじゃないの?ソフトバンク?だめだよ〜。
こないだも遭難届けが出てた外人がウチに同じような感じで来たんだけど、ソフトバンクだったもん」と言っていました。
まさか携帯電話のキャリアが運命を分かつとは思っていませんでした。

そして終電ギリギリの状態で無事帰路につく事が出来たのです。











今回の旅を通して冒頭でも触れましたが、いかに自分が小さいかを思い出させられ
死を感じないと生について真剣に向き合えないという事。
そしてこういった局面にならなければ、忘れそうになってしまうという事を痛感しました。

今回僕は本当に運が良かったと思います。
もちろん同行者がN氏であった事もそうですが、天気が一切崩れず、二人共にこれといった大きな怪我もありませんでした。
行程に大きな遅れが出ている状態で、雪道の中で雨に降られたりしていたらと思うとぞっとします。

もし山に神様がいたら今回は多めに見てくれたのかもしれません。
『今回は初心者という事も考慮して家に帰してやる。
次は身の丈にあった山に登って、装備は人に借りず自分で揃えて、人にばっかりまかせていないで
ちゃんと自分を持って登るように。そしてまたここに来なさい』そんな声が聞こえてくるようでした。


最後に、かけがえのない経験となった登山に誘って頂いたN氏に感謝。
そして途中で出会った大蛇や大きな蜂の巣、どこかに潜んでいたかもしれない熊
僕達を迎え入れてくれた山々、命を奪わないでくれてありがとう。
生きて帰れた事。それが全てだと思いました。